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近藤和子

喪失と悲嘆の連続


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私が小学校の養護教諭(保健室の先生です。学校の健康教育や教職員を含む生徒・学生の健康管理及び学校内での救急処置・一次的応急対応・医療機関への診療連携)から日常的な健康相談を職務としています。)として勤務し始めた1980年代は、まだまだ電話によるサービス(テレ・コミニュケーション)が全盛の時代でした。

これからは“女性の時代”である。女性も職業をもち自立、活躍するべきだと盛んにマスコミに取り上げられ、女性起業家が話題になる時でした。2015年、今の雰囲気と似ています。

スマホもない。パソコンもファックスすら一般的ではなかったその頃、電話による育児相談を社会的サービスとして創設したダイヤルサービス株式会社に転職、育児相談事業の相談員として、企画・教育にたずさわっていました。

当時社会問題になっていた、核家族化の中での密室育児でストレスに耐えかねた母子家族による《母子心中・子殺し・赤ちゃんの遺棄・虐待》が深刻な社会問題になっていたからです。

その課題に対して、電話による育児相談(育児相談カウンセラーの創設)は、その問題解決を新しい社会システムで解決をはかろうとする画期的な試みでした。

それまでは、家族の中の極めて個別的な育児は、女性なら教えられなくても本能として当たり前に持っているもの。せいぜい、おばあちゃんの知恵として世代間伝承されるのが当たり前としか思われていませんでした。

女性が結婚して出産するのも当たり前。子育てがストレスなどと!言うのも可笑しい。子育て支援など? 何を、たわけたことを言うのか・・と、随分冷笑されました。

はい、企画のプレゼンをしに歩いた大手企業のご担当者様や、もっともひどかったのは行政の窓口担当者の方々でした。

その時の雰囲気に、今、“介護”が、全く同じ家族の課題になっていると、時代を経て、人のライフサイクルを追う健康問題をテーマに仕事を継続してきた私には思えます。

介護を家族の問題として、家族が両親の最期を看取るのは当たり前という認識だけで見過ごしていたら、必ず、1980年代以降の“家族の育児環境課題”と同じように、介護ストレス、それによる介護心中、介護虐待は起こります。

そして、その解決策も、

①家族への情報による啓発と

②社会的システムによる解決をはかって行くことが急務だと、思えてなりません。

2015年の 今、介護に関する情報環境には少なくとも2つの問題があります。

介護の一般的な情報はが開放され始めてきました。それまでタブーだったメディアにも盛んに登場するようになったのは進歩です。明るい兆しです。

が、介護情報を、それ求めている対象者別の整理はまだまだ不足です。

その情報を求めているのがどのような家族なのか? 対象は女性か男性か、介護職に就労している人か、働く人として管理している人か? などなど、個別的な情報のアレンジが、まだまだ不十分です。これが問題点の1。 

2番目は 死生観の醸成と具体的な“看取り”への情報提供が圧倒的に不足しています。実は、この点にこそ、家族介護の限界と悲惨な事件が起こりかねない原因が潜んでいるというのに。人は必ず死にます。が、自然に死ぬ、本能で死ぬ、何もしなくてもそういう知恵が伝承されている。と漠然と考えられているのはでは?

あたかも、1980年代、育児が母性本能と伝承で、何とかなるものと思われていたように。

断言します。人は自然には死にません。ほっとけば、孤独死、放置死が増え、その社会的ストレス、精神的な次世代へ影響は甚大なものがあることに、今こそ、気づかなければなりません。

日本のホスピス病院(“ホスピスへの遠い道”という書籍で社会的医療システムの提言を日本で初めて紹介した岡村昭彦氏をはじめ、大阪淀川キリスト教会病院でのホスピス診療をリードしてこられた柏木医師等)の関係識者・実践家たちが、口を揃えて主張しておられること。同じことを私も主張したいと思います。

人は産まれてくる時、助産師のような人が必要なように、死ぬときも、寄り添い、付き添い、導びき、最期を看取り、その後の始末を引き受けてくれる人(看取り人)が居てやっと、人は死ねるのです。

その看取り人をこれまでは家族の誰かがしてくれる、して当たり前と思ってきましたよね。でも、それはもう常識ではありません。何らかの社会的システムにより解決が迫られています。

そしてその資格は、書面上の資格ではありません。

科学でもありません。TLC(テンダー・ラビング・ケア)という、人と人との情緒的支援を意識化することによる、新しいサポート関係の構築が課題なのです。

私は、その新たな情緒的支援関係(TLC)を模索、具体化なシステムにしていくことを

これから5ヵ年計画のプロジェクトとして、取り組んでみようとしています。


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