資料
出産の時も、看取りの時も、『優しく、いつもそばに居てくれる人』が欲しいと、私たちは希望してもいいのでは? トイレやドアや天井に取り付けられたセンサーで、監視・管理される高級施設や設備ではなく、ロボットでもなくです。。
そんなことに研究開発費やエネルギーをかけずとも、それが科学技術の成果を競い、発展させるというのなら、100歩譲って、それと同じバランスで、そばに居てくれる人の育成と派遣の仕組みつくりとそれを活用できる暮らしの文化つくりにも、同じくらいのエネルギーをかけて欲しいと願います。
あなたの味方になり、あなたを護ってくれる人がそばにいてくれたら、それだけで、私たちは安心して死に逝くこともできるのにと思います。
ドゥーラ(マザーリング・マザー)になってくれる人の人材育成に時間がかかるのでは?と・・・団塊世代の優秀な専業主婦体験者たちが、有能な人材が今の日本には備蓄があるではありませんか。どこの国より豊かな資源(人財)があります。
その女性たちの今後のセカンド(サードかもしれない)キャリアとしてリードできる社会的システム(ソーシャルビジネスとして起業)すればいいだけです。
今の医療・介護制度の中では予算がない? そのとうりです。従来の国家予算では試算することも、贖うことも、希望することもできないことも承知です。
むしろ、厳しい管理運営の中で働く医療・介護職員の(ケアする人をケアする)モチベーション維持向上のためにも必要な手立てでもあるのですから。
第3の予算とも言うべき、何かが必要です。
欧米諸国のナショナル・トラストのような仕組み?赤十字のような独自な機能?
今の私は、知恵と勇気と行動できる元気まではありますが、お金はありません。だから、しばらくは、何が必要か、なぜ必要か、どのような効果が期待できるかということを、啓発する役割に徹して専念してみようと思っているのです。
こんなことを考えている時に決まって、いつも、イメージされてくる私の原風景があります。
それは、幼いころから12歳前後くらいまで、春先きになると、いつも決まって、下痢や発熱をして2日~3にち寝込む、学校も休むのが常でした。
5人兄妹の末っ子。上の兄たちとは親子ほども違う年齢だったせいか、家族中に可愛がられ、兄たちがあちこちに連れ歩きまわり、まだ食べられないものまで、食べさせるので、下痢や発熱をくり返すらしいのです。兄たちを叱りながらも『知恵熱じゃ、熱出すたびに賢くなるんじゃ』と、母はいつも手厚く看病してくれました。
下痢にはりんごを絞り、熱には氷のうを、喉や咳には吸入器、汗をかけば寝巻きの取り替え、湯たんぽ、清潔なシーツを繰り返し取り替えられ、特別の食事がお膳に乗せられて、布団のそばに持ってこられる、様々な風景とその時の心地良さとともに、感覚が呼び覚まされ、幸福な気持にひたることができます。
特に、昼間、兄姉が学校に行き、ひろーい家に、ひとりに寝ていると、家事に勤しむ母が、台所から、風呂場から、庭先から、奥座敷から、”今、ここに居るからね。
今、○○してるからね~、もう少しで終わるからね~・・・”と 優しく声かけしてくれるのです。その時々の声は、未だに耳元に残っています。
熱もさがり3日目になると、七五三の時の私の着物を母が普段着に縫い直してくれた着物を着せてくれ、着物のキは気を包むと言うもの。さーもうこれで、元気になるよ、なりなさい、という印だよ、と言って、表座敷に布団を出してくれてその着物に着替え昼間を過ごすと、明日っからは元気に学校へ行くんだ!というサインです。
私にとって、春先の病は懐かしい幸せな思い出のひとつです。
生まれるときも、病のときも、老いて逝く時も、その時々のほっこりとした幸福感を味わい尽くせるように、そうしてさしあげたいと、看護師である私は、巡りあう方々に願いながら、これまでも、これからも 役割を果たしていきたいと願っています。