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近藤和子

家族にやさしく寄り添うケア


あきらめないこと 受け入れること

2016年2月13日(土)第2回目の在宅医療勉強会では、まさしく情緒的支援を担う「チャプレン」や「ドゥーラ」という職業の存在を、より多くの皆様に知っていただきたい、という思いがかたちになりました。

「エンド・オブ・ライフケア」「テンダー・ラビング・ケア」という、死を受容した人と人との関係性の中で、安らかで、充実した場と時間を求め、それを成就している人々もいることも知っていただきたいのです。

知ることが、選択の始まりだと思うからです。

医療者(特に医師や看護師)は、治癒という成果に結びつける戦闘姿勢をとり、諦めないのです。諦めたら最期だという覚悟のもとに成立しているからです。やはり、医療者はあきらめたらいけないのです。

一方で、しっかり≪あ・き・ら・か・に視て≫事態を諦め、死を優しく受容するサポーターが必要だと、そこには役割分担があったほうが、うまくいく、と気付かされました。

5年前に夫を亡くした直後に、チャプレンにサポートしていただいた体験から、チャプレン!って、いいお仕事だな、医療者ではないということが、こんなにも遺族を慰めるものかと、思い知ったのです。

そして「ドゥーラ」という社会的母親役割。1980年以来、私自身がマザーリング研究所を設立、女性の生涯の情緒的支援を、マザーリング・マザーという役割を通じて体現するべく活動してきました。

育児する新米夫婦にとって、それぞれの実家の両親はどんな時にも≪諦めない≫モデルとして存在します。でもドゥーラは、いつも事態を≪あ・き・ら・か≫に視て、いろいろな断念をサポートできるのです。両親とサポーターは別々の人がいい。というのは私も実践をとうして知り得てきたことでした。 

育児の断念は、親離れ子離れ、様々な別離ですが、人生の究極の断念は死です。その死に寄り添い、安らかな、そして豊かなサポートをしてくれる看取りのドゥーラやチャプレンが、もっと、もっとたくさん居てくれたら、あってもいいのでは?

私たちは知らなかったのでは? すでに何十年もの長い間、世界のどこかには、そういう優しい役割を磨き、実践している職業人が居て、その恩恵に浴している普通の生活者たちがいることを。

福澤先生、上田先生の優しい講話は、受講生に静かな感動を与え、“私もサポートされたい、私もドゥーラになりたい、ドゥーラならなれそう”という感想を沢山いただきました。

コーディネーターとしては、“シテヤッタリ!”嬉しい自己満足に浸っています。

皆様もゆっくり時間をかけて、検討し、身近な方々と対話しながら、おひとりおひとりの中で、優しいケアを求める、よりよい選択を決心してみてください。

迷い、修正し、決めて、また迷い、決めて・・・そのリビング・ウィルの道のりに、振り向けばいつでもそばにいる≪みんなのMITORI・研究会≫でありたいと、そうなれるといいなと、考えています。

補足

恩師の小林登小児科教授が、アメリカの医療文化人類学者のダナ・ラファエル女史の出会いから、日本に≪ドゥーラ≫という概念を紹介した経緯を福澤先生から豊富な資料とともに講話がありました。

奇しくも、私たちが拠り所にし続けてきた、ダナ・ラファエル先生が記念すべき2016年2月に91歳の生涯をコネチカットのご自宅で閉じられたという訃報も同時に知らされたのでした。

私たちが、ますますドゥーラの意味と意義を広めようとしたスタート時点で、ダナ・ラファエル先生が一粒の麦になられたのかもしれません。マザーリングの普及活動に取り組み10周年を迎えた時、駆けつけてくださった時の写真を掲載。この写真の赤いジャケットを着た中央の女性が、若き日のダナ・ラファエル先生です。


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