2025年は、
団塊の世代が全員75歳(後期高齢者)を迎える年であり、
いよいよ超高齢社会が到来するといわれています。
高齢化は、ずっと先の問題かといえばそうではなく、 すでに75歳以上に達している現在の高齢者にとっては、 まさに「今」切実な課題です。
定年退職し、趣味や遊びに取り組んでみたが、 しかしいよいよ体力、気力、家族のつながりも薄くなり始めたとき、 どう暮らし、地域や若い世代との関係性をどのように紡いでいけばいいのか?
そんな話題が今日も、
あちこちの同窓会や、 同期会といった集まりの中でささやかれているのです。
そんなささやきのひとつでもあり、 高齢者の想いの記録でもある、 貴重な記事を見つけました。
ある会社の同期会のメンバーが語り合た、 ”終の棲家”をどのようにしてみつけるか? といった語り合いの記録です。
興味深いので、 許可を得て全文掲載させていただきます。
としより放談
終の棲家
“老人3人寄れば持病の話” が定番だけれど、この日は違った。
50年前、ある会社に同期で入った者同志が年に2, 3回集まって久闊を叙する同期会の宴席。
14、5人のうち、最初の会社で定年まで勤めあげたのはわずか3分の1で、 あとは途中で他社へ移ったり、独立起業したりして40年、 それぞれの道を経て功なり、 名を遂げかけている人々の集まりである。
年齢は皆70代中葉。
乾杯のあと、
幹事A氏が「本日の話題のきっかけ代わりに」と前置きして話し始めた。
「老い先も見えてきたので、そろそろ社長の席を息子に譲って引退を考えている昨今です。
5千万円ぐらいの介護付きマンションでも買って余生に備えたいと思っています」
と、すかさず異論が出た。
B氏
「それ(中高齢者専用分譲マンション)はやめた方がいい。 医療・介護・看護サービス付きで安心と言うけど、それは初めのうちだけで、 数年も経つとサービスは悪くなる、介護要員は入れ替わる、少なくなる。 資産だから転売できる、遺産で残せると謳うが、
買手がいないから値は下がる、 500万円でも売れない。こんなはずじゃなかった、というのがオチ。 現実の話だよ」
別のC氏
「そうなんだ。高額のマンションといっても内実は有料老人ホームと変わらない。
民間の有料老人ホームは一代限りで、介護は見てくれるが、 サービスの質は年々低下する。入居金のほかに月々の負担もバカにならない。
共同生活に近いから、わがままは言えない。 プライバシーは守れない。
『24時間戦えますか』の時代を生き抜いてきた我々が、 ボケかけた赤の他人と仲良く暮らせると思うかい?! 悪いけど私はヤだね」。
同調してヤジが飛ぶ。
「だよな。カラオケもある、麻雀もできるというけど、 賭けもしない麻雀など、どこが面白い?!」。
老人ホームにいる友人をよく見舞うというD氏
「彼言うに、鍵の無い自分の個室に、 隣の婆さんが勝手に入ってきて困る、とこぼしてたよ」
思い直したようにE氏がつぶやく
「それでもさぁ、 体の自由が利かなくなって、他人の手を借りないと暮らせなくなったら、 やはり我慢もせんとならんしなぁ―」。
つづいてF氏同意見
「そうよ、自宅で面倒見てくれる家族がいてくれりゃよいけど、 いつまでも甘えてはおられんし、また申し訳ないしね」
特養とかケアハウスってのは……
ここで助け舟。
老人介護事業に詳しそうなG氏が解説を加えてくれる。
「家族に負担をかけずに、 終身世話をしてくれる点では、 公設の特別養護老人ホーム(特養)があって、 費用も年金程度で済むし、一番望ましい。 けれど、この特養は要介護3以上が条件だし、 希望者が殺到して必要な時入れない。 待機者50万人と言われ数年から10年待ちというのが実情だ」
傾聴していたみんなが 「うーん 望みをつなぐのはまず無理だな」 とため息をつく。
すると、健康器具会社の社長さんH氏が知恵を出してくれ、 話がつづく
「不意に脳梗塞などで倒れても、 寝たきりになりたくない、なんとか自立したい、 という意欲があれば、介護老人保健施設(老健)とか ケアハウス(軽費老人ホーム)という公的施設を活用して生き延びる手があるよ。
リハビリが中心で在宅復帰を目指しているからピッタリだし、 少ない費用で利用できるから頑張り甲斐はあるよ。 ただし、3か月とか期間は短いけどね」
G氏
「ピンピンコロリが理想だけど、せめて寝たきりにならないための気持ちの備えは、今からでもしておいた方がいいな。脳卒中とか骨折程度なら早期治療、 リハビリで自宅復帰は不可能じゃない。 長嶋さんなんかは立派なものだ」
ふむふむと同調しながらも、 どこからともなく心配そうな声があがる。
「ただ、ボケると始末が悪い。 認知症になってしまったら自分ではどうしようもないからなぁー」。
同席者みんなが抱いている不安、 というか恐れの本音が出て座が沈みかけたが、 それをカバーするように
「だからボケないために、
今、自分にできることをせっせとやるべきだと思う。」
という意見に誘導されて、 口々にボケ防止対策が飛び出した。
曰く、頭を使いながら体を動かす社交ダンスや舞踊とか、 ルールがあってチームプレーがあるスポーツをする、 日記を書く家計簿をつける、しゃべる、歩く、本・新聞を読む、 料理をする家事をする、囲碁・将棋・麻雀等勝負事をする、 パチンコはダメ、詩歌管弦習い事をする、絵画・写真にはまる、 計画をたてる、思い悩む、パソコンを操作する、 孫を教育する、自治会の役を引き受ける・・・。
要は、減退していく脳細胞をとにかく刺激し、 励ますように使うことがボケ防止に役立つという簡明な原理。 自分にできることを見つけて『ボケるものか!』を意識して、 ガンバッテみることだな、と酔っぱらいの意見が一致した。
ここにきて冒頭の幹事氏の話にキツイ突っ込みが入った。
「息子に社長の座を譲って引退というのはもってのほか。 会社の経営は財務、製造、販売、人事と多岐にわたる脳トレの宝庫。 それを息子に譲ってしまってはもったいない。 会長になってでも経営には口を出し続けた方が良い。 そうすれば決してボケないよ。というかボケてる暇ないよ」
とくぎを刺したのは自らも社長経験者の I氏、J氏。
そうだ、そうだ、と賛同者が相次いで『楽隠居』案は却下、カツで衆議一決となった。
たとえ寝たきりでも
そこへ、大学教授K氏の発言
「人はただ生きていればよい、というものではないはずだ。 人には尊厳が必要。たとえ寝たきりになっても、 認識、判断ができ残された機能を少しでも活かそうという意欲があれば、 立派に生きているといえる。
私の父は、寝たきりだったが、20年間毎日俳句を作り続けた。 最後まで家族で見守った。偉かったと思っている」
一同共感するところ大。
誰言うとなく、
「自立しながら在宅介護ができれば、一番いいのかな。 衰えて身体介護が必要になったら、家族だけに頼らず、 介護保険を使って訪問サービスを活用して生きていくという手もあるし……」
すかさず介護事情に明るいH氏
「そうそう、最近は国の方針もあって在宅介護を支援するサービスが充実してきている。訪問介護のほか、デイサービス(日帰り介護・通所介護)、ショートステイ(短期入所生活介護)もあれば、訪問看護(ホームヘルプサービス)も受けられる。今後もっと新サービスも出てくると思う(影の声…これはビジネスチャンスなのだ)。
これらを上手に利用すれば、家族の負担はかなり緩和できる。ただし、介護保険を使っても費用は掛かる。また、保険だけでは使える範囲に制限があるけどね」
「でもさ、保険外になっても構わず、 そのサービスをできるだけ多く受けるようにすれば、 老夫婦だけとか、一人暮らしになっても、自宅で暮らせる可能性があるわけだね」
「そう。お金さえあればね」
酒の席でもあり、金の話が出たところで話題は一気にまとめに入った。
「だったら、そこそこの蓄えはあることだしさ、住み慣れた自宅で過ごしながら、必要な介護の出前サービスをどんどん受ければ、 他人様に迷惑かけずに死ぬまで生きられるんだ」
「そうだ、そうだ。ただその金はさ、現金でなくちゃダメだぞ。 タンスの中じゃ危ないから、1000万円入る金庫が要るんだ。 いま、巷で一番の売れ筋は、家庭用の金庫だとさ」
ちょうど時間となり、
貯えの少ない自分は気の抜けたビールを飲みほして、おしまい。
青梅市 迫田 靖夫