はやいもので今年の残すところあとひと月となりました。日ごとに風も冷たくなり、時間の貴重さを思いおこさずにはいられません。
去る2023年11月26日に、みんなのMITORI研究会主催による、第8回看取り新時代実践報告会を開催させていただきました。本記事はそのふりかえりです。
先日開催した第8回看取り新時代実践報告会ですが、晴天に恵まれ、皆さまとのあたたかな交流の機会にもなり、アンケートの結果も概ね高評価(9割以上の方がほぼ満足)でほっとしています。
ご参加いただいた皆様、ご関心を持ってくださった皆様、本当にありがとうございました。
看取りやそのテーマの根底には、
「予測のつかないこと」の連続があると思っています。
それで私は「創発」を大切だと感じています。
「創発」とは、局所的な作用が全体に影響を与え、
その全体が個々の要素に影響を与えることによって、新たな秩序が形成されるような現象をいいます。
たとえば、アリの塚は自然界における創発の例です。
また、組織論やナレッジマネジメントの分野では、個人の能力や発想を組み合わせる取組により、予測や意図を超えるイノベーションを誘発する様を示しています。
つまり偶然性や予測のつかなさを受け入れることで、
新しい価値が見出されることがあるということです。
茶道の精神と創発
また、茶道の文脈で「創発」といえば、予測できない出来事が起こったときにも心あたたまる対応をすることを指すようです。
そのためには日ごろから感性(五感)を磨き、相手が望むことを察知できる能力を養うことが重要です。
たとえば茶の湯の心得として知られる「利休七則」では
1. 茶は服のよきように点て
2. 炭は湯の沸くように置き
3. 花は野にあるように生け
4. 夏は涼しく冬暖かに
5. 刻限は早めに
6. 降らずとも傘の用意
7. 相客に心せよ
と教えています。
こうした教えは非常に禅的であり、
シンプルな言葉であるほど、意味はより深長になっていきます。
利休の教えも簡単で実践的なことばに見えますが、
相手を思いやり、こまかな気を配ること、本質をとらえること、万全をつくすこと・・・といったおもてなしのすべてがつまっています。
実際、利休は
「もし、これができたら、私はあなたの弟子になりましょう」
とつけくわえたと伝えられています。
ともかく物心両面の準備があってこそ、
あらゆる事態に対応できるのかもしれませんね。
「讃美歌を歌ってほしい」 看取りの事例
今回の報告では、看取りのドゥーラのケアプロセスについてNPO法人「人生丸ごと支援」の理事長、三国浩晃さんによる、看取りの現場における実際のご家族(夫を看取られた、ご自身も高齢のHさん)の実例発表もありました。
点滴の確保のために手にはミトン。繰り返される去痰のためのネブライザー等の機器に囲まれた夫を見て、Hさんが、「全て治療を中止して退院させる」と決断されたので、在宅看取りへのチームをつくるところから三国さんが手配されたのです。
このケースは、私(近藤)も看取りのドゥーラとして、かかわらせていただきました。
臨終の時、深夜担当の訪問看護師とドゥーラ役割の私が引き継いだ際、
家にはHさんと私だけ。
Hさんに別室で仮眠していただいていると、
ご主人様のチェーンストークス呼吸が始まりました。
私はHさんに「ご一緒に見守りましょうか?」と声をかけ、
共に、最期の呼吸に寄り添いました。
Hさんは
「これまでご苦労様でした、ほんとうにありがとう」
と何度も声をかけられ、見つめ合い、呼吸停止(聴診器ではなく視覚だけの)を確認。
私が
「でも、まだ、聴こえておられるのでお話しなりたいことをお話しください」
と申し上げると、
Hさんが
「讃美歌を歌ってほしい」
と言われました。
そこでご一緒に「神の子羊」の讃美歌を歌い見守り、Hさんに
「ステーションに連絡して良いですか?」
と確認すると、うなずかれたので、
「Hさんはこのまま旦那さんのお傍に居てさしあげてください。私がSTにお電話しますね。」
と伝えて(私は、この連絡を伴侶にさせることが忍びないと感じるひとりです)、訪問看護STと訪問診療所に「●時●分。呼吸停止しました」と電話しました。
リアルな現場の声を広める場として
今回、三国さんの発表により、現場での様子の一端や、ご本人やご家族との対話を通じて、看取りの難しさや予測不能な状況にどのように対応するかが具体的に示されたと思います。
また、これは三国さんのお人柄によるところでもあるのですが、シビアな状況のなかにどこかユーモアのある場面が垣間見られ、実体験だけがもつ説得力もあいまって、真剣かつ楽しく聴くことができました。
また、Hさんのアクティブなご様子のシェアもあったのですが、どんなにご高齢となっても、どのような体調であっても、本人の強い意志が具体的な行動に繋がっていくという学びも得られたように思いました。
まだまだご紹介したい、当日の発表や活発な意見など、お話し足りないくらいですが、ひとまずこの、Hさんと看取りのドゥーラの交流のお話は、歌や言葉を通じて心の支えを提供し、傾聴やレガシープロジェクトと共に、最期の瞬間を大切に見守る姿勢、訪問看護STやドクターの指示に従いつつも、看取りのドゥーラが特有の意義を果たす、その存在の大切さを再確認できたケースだったと思います。
頑張って開催してよかったです。
まとめ
皆さんのご意見や感想も、今後の実践報告会で共有できればと思います。
どのように感じられましたか?
ぜひご意見をお聞かせいただければ幸いです。
みんなのMITORI研究会 代表 近藤和子
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