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執筆者の写真近藤和子

この感動を伝えたい 第二回看取りのドゥーラワークショップ開催




2020年1月31日に、

第2回目の「看取りのドゥーラワークショップ」を開催しました。



このワークショップは、

当日の参加者による語り合いがメインなので、

あたりまえですが「台本」がありません。



完全なぶっつけ本番で、

どういうお話がされるのか、

事前には誰にもわからない。




それなのに毎回、毎回、

すばらしい体験、エピソード、知恵が

でてくるという不思議。




おひとりおひとりが、

ご自身の看取り体験について語るとき、

そこにあるのは悲しみだけではもちろんなくて、

おそらく人間の感情のすべてが含まれています。




ほんとうに、

泣いたり笑ったり、

悔んだり、安堵したり、

そしてちょっと驚いたりの連続で、

とにかく2時間があっという間なのです。



そして、

どれをとっても見事に貴重な体験であり感情です。



それらをシェアし合い、

互いが理解し合いはじめたときにやってくる、

共感の波。



「おもしろい」という言葉ではしっくりこないし、

「感動した」という言葉では足りないような、

なんともいえない感覚です。




インターネットでなんでも情報が手に入る(気がする)昨今ですが、

わざわざ時間と場所を選んであつまり、

じかに対話をすることで体験をシェアし合うという、

ある意味で「貴重」な場になってまいりました。




この感動を伝えたいと思いつつ、・・・


文字で伝えるのはやはり難しいですね。




もっと多くの方に知ってほしい、

話して広めていきたいと思う一方で、

ご参加の方たちを守っていきたいという気持ちもあります。




このワークショップでは、

撮影もしない、録音もしない、

議事録すらとりません。


お帰りにご記入いただくアンケート用紙も

「無記名、匿名」としています。




ほとんど記録やデータを残さないのは、

「重たい」話題も話しやすくなると同時に、

この時代にあえてアナログな「口伝」の良さも感じています。



なんというか、

この瞬間だけという感覚、

一期一会の実感を得られるのです。



そしてまた、

昨日はちょうど看護師と医師の方も参加してくださっていました。



そのお二人が、

参加者の辛い体験の語りに接したとき、

医療的に正しい、良い選択だったことを指摘したうえで、



「その選択はご本人にとって

幸福だった」



と、

辛さの中にも肯定のポイントを見つけて認めてくださるという、

嬉しい場面もありました。



グループの力って素晴らしいと感じさせる瞬間でした。




普段は胸の奥にしまい込まれているのかもしれない、

その方の看取り体験について語っていただくと、

人それぞれ本当にいろいろなご経験をされていると再確認します。




いってみれば「死」について話しているのに、

そのなかに「人が生きる意味」が感じられます。

その方の「人生が凝縮」しているように思えます。



そしていつも思うのは、

「すでにこの方たちは看取りのドゥーラなんだ」

ということです。




ドゥーラは非医療者による、

非医療的行為・ケアです。




非医療者とは、

医者や看護師でなくてもできるということだし、

薬や手術に寄らない何かということです。




また、医療行為をしないということは、

「放置する」ことではない。

むしろ、手厚い世話を受けるということです。




では、それはどんなこと?

それを対話によって、

言葉によってシェアしてみよう、

というのが看取りのドウーラワークショップなのです。




看取りの実際は、

なかなか語られることは少ないです。

死を忌み嫌い、語ってはいけないというタブー意識も強いと思います。



まだ医療関係者も、

医療者だからこそ、語ってはいけないという

タブー意識で縛られているのかもしれません。




もちろんTPOは必要だけれど、

そうであればなおのこと「語れる場」もあっていいはずです。




そのための特定の場と時間をわざわざ設定する。

安心できる人との関係性の中で、言葉にしてみる。




私の方から事例として毎回取り上げているのは、

ホスピスに入った体験を


「緩和ケア体験記 69歳 膵臓全摘患者の選択」


という小冊子にして遺された方の例です。

(こちらはみんなのMITORI研究会のホームページから、

読めるようにする予定です。)



亡くなる直前の数か月、

鬼気迫る勢いで書き残されました。



ご家族は毎日、

数枚のメモ書きを手渡される。

そのメモを読み取り、清書して、

体裁を整え、意志がいきるように冊子にまとめたのです。



この取り組みがドゥーラの役割であり、

もしドゥーラがいなかったら達成されなかった思いです。



本人がなさりたいことを代弁したり、

代行したりして、かなえてさし上げる。



目標達成した時の喜びを共に、

分かち合える、素晴らしい行動です。





人はいつか必ず亡くなるものだし、

その周辺には介護する家族の複雑な気持ちや、

医師と家族の理解のギャップといった問題が、

セットになっています。




つまり、本人の思いを理解し、

かつ、ケアする人をケアする存在は、

まちがいなく必要とされているのです。



ご一緒にお考えいただき、

ぜひお知恵も貸していただけたら嬉しいです。



というわけで



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2020年 2月7日(金)、14日(金)、22日(土)、28日(金)、



3月6日(金)、13日(金)、20日(金)、27日(金)



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に開催します。




どこかで、

夕方18時に新宿御苑前に来られる日程はありませんか?




是非ご予約の上ご参加ください。

お待ちしています!




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