top of page
検索
執筆者の写真近藤和子

イザ!という時のために



4月22日は世界アースデイ。 世界規模のコロナ感染拡大対策ですが、 一方で地球環境には確実に良い影響が出ているとのこと。 外出規制の続く日々も、 桜並木のあと、ハナミズキとつつじの満開の季節を迎え、 いつもと変わりのない自然のやさしさに癒されています。 そんなおり、 みんなのMITORI研究会の読書会のメンバーのSさんから、 82歳のおばあ様の最期を知らせるラインが入りました。 以下、要約して引用します --- 日曜日の朝に祖母が急死しました。 最初の症状が出てから12時間たらず、 大動脈解離でした。  数年前に在宅で祖父を看取って以降一人暮らしだったのですが、 私が祖母の家に駆けつけた時、 家の各所にお花が生けられており、・・ 祖父が亡くなったあとに、 荷物の整理もこつこつやっていたので、 家の中もすっきりしていました。 祖母は認知症だけにはなりたくないと、 いろいろ頑張っていました。 お友達と公民館活動をしていたり、

‥木彫りの作品がいっぱいあって、あまりにも急だったので、 なんとも表しがたいのですが、 祖母の暮らしぶりの、 ≪危機管理能力≫ があっぱれで・・・  お花を生けたり、 生活の中での遊びって大切なんだなと学びました。 ----- と。 訃報ではありますが、 訃報を哀しみ合うと言うより 「さすがだな」 とか 「こういうふうでありたいな」 という逝きかたのモデルに出会えた喜びを語りあい、 孫のSさんに、「あっぱれだった」と、 言っていただけたおばあ様の幸運を遠慮なく、 称えあいました。 身近な人の中に、 自分の拠り所となるような 「人の死のモデル」に出会えるのは、 とても幸運なことです。 存在が亡くなってしまう哀しみは、 それだけに深いのですが、 良くも悪くも大切な人の死は 必ず、何かの影響を遺すからです。 必ず生きていく人の糧になるからです。 昔の日本人は、きっと、 深く深く知っていて、だからこそ、 死に向き合う作法や、 宗教的行事、節句、祭りごとの数々、 地域、家々の習わしとして、 観て、聴いて、真似して、伝え続けてきたのでしょう。 私事で恐縮ですが すでに30数年も前のことながら、 やはり83歳で亡くなった明治生まれの私の母も 80歳になった時 「もう、私は十分に生きた。 これからは、 人はどう死ぬのかを子どもや孫に見せること、 それが仕事です。」 と言いながら、 Sさんのおばあ様と同じように、 身辺整理をつつがなくはたし、 一人暮らしの家を仕切り、 いつも生け花をたやさず、 美しい暮らしにこだわりつづながら、 生き切ってくれました。 その母の家族への躾けの口癖は 「イザ!という時のために」 というものでした。 でも、それは、物を買いだめするとかいうことではなく 戦争戦後を家族の生き死に、 経済や価値観の激変にも晒されてきた人の矜持です。 今日、明日、今、その「イザ!という時」は来るかもしれない。 その時、ですら、恐れることのないように。 イザという時に、 勇気をもって立ち居振る舞いできるようにという気概は 言葉や一時的な説教で身につくものではなく、 日々の暮らしの中の長い人生を共にする大人から、 伝承されていくものです。 その伝承は、 市井の人々の中にこそ脈々と流れているものなのでしょう。 Sさんのおばあ様も明治生まれの私の母も、 きっと同じです。 外出のおりは下着を綺麗にして出かける。 いつ救急搬送されてもいいように(笑)など。 「その時に際して、決して見苦しいことをしてはなりません。 むしろ、その時こそ、”心に太陽を、唇に歌を”です。」 と、どんな時にも身じまいや生活リズムを崩すことのない、 四季おりおりの節句もたやすことなく、 何とかする、何とかなる、といつも励ましつづける朗らかな気概は、 まさに私の逝きかたモデルです。 私が第3子を出産直後、 我が子の血液型不適合による病気に直面。 命はとりとめたものの、 医師からは将来の予後も治療法も、 確約できることは何もないと言われ途方に暮れドクターショッピングに振り回されていた日々。 母が勧めてくれたのが、 (母の時代にはそれこそ、あこがれの女流作家だったのでしょう) パールバックの(peari.S.Buck 1892~1973)大地でした。 苦し紛れに、 生涯、障害とともに生きねばならないかもしれない 日々の指針を得たくて、 パールバックの著作を読み漁りました。 その折に出あった一片の童話があります。 日本にも造詣の深かったパールバックならではの、 心満たされる童話でした。 つなみ(THE BIG WEVE ) 1947年の発表作です。 そして「自分の死を看取る」(2011年出版近藤裕著) 100冊目の著作として遺し、 見事に逝った夫もまた私の逝き方モデルの一人です。 危機はいつの世にも、 世界の何処にでもあります。 そのたびに、 専門家、医学・科学者、政治家、経済界の人々の諸説・にも傾聴しつつ、 ご苦労に敬意を表しつつ、さらには、その方針にも従いつつも こうして、日々のあたりまえのこととして、 私たちの身近な人々が人生をとうして示し、語り、引き継ぎ、

引き継がれていこうとする≪出会いと暮らし≫を大切にしたいと思います。 もうすぐ5月の端午の節句です。 古代中国では、 この日を薬採りの日としていて、 薬草を摘んで野遊びをしました。 菖蒲は、 煎じて飲んだりして昔から薬草として使われていたそうです。 コロナによる国難の時も 「そんなことしていられるか、 ともかく、家で、じっとしていよう」 ではなく、 旅行はしません、人もお招きもしませんが、  こいのぼりを眺め、季節を味わい、朗らかに暮らすことに、 遠慮はするまいと思います。 それこそ、高齢期に入った私は イザ! という時のために、後悔のないように、  日々、生活を整え、美味しいお菓子を 品定めし、 故郷のちまきも、東京の柏餅もいただきつつ、 孫に祝いの品でも送り、無病息災をいつもより、 深く心をこめて祈りたいと思います。

閲覧数:68回0件のコメント

Comments


bottom of page