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  • 近藤和子

多死の時代


2025年以降の多死の課題は人口統計上は第2時世界大戦時の戦死者数(昭和14年~20年迄の間約310万人)を20年後は倍も上回る団塊世代の死者を迎えます。 今、50代の経営者層の男性陣が故郷の墓、両親の介護に、経営以上の選択を迫られ、仕事上の決断ならできるが、こればっかりはビジネスのようにはいかないと悩み果てています。 

朝の連続テレビドラマでは、毎回昭和20年前後の戦争未亡人の家族の話題が必ずと言っていいほど、描かれています。哀しい事実だけれど、なぜか地域の多くの多種多様な人情に支えられているシナリオに、羨ましさを覚えるのは私だけでしょうか?

私たち団塊世代は、まさに”企業戦士”と呼ばれた夫たちの家族でした。その企業戦士の妻だちが、これからの20年間で続々と未亡人になろうとしているんだけど・・・・。

『仕事だよ!』 と言われれば、出産も病気も家族のトラブルも楽しみも一切黙秘、犠牲にして厭わなかった、強い団塊世代の妻たち・・・・。でも、ほんとうは、ひとりで出産し、ひとりで堪えてきた家事・家族の中での孤独な責任は堪え難かった。妻が自身の仕事を続ける自己実現など、ありえない夢だった。辞めるのは当然。こそっと内職などしようものなら、”家事に、支障のない範囲でやれ!”という名文句で、不満にも思ってはいけないと、感情を閉ざされてきた妻たち。

その思いが癒されないまま、今度はひとりで死んでいかなくてならない事態を迎えようとしている予測に、今、気がつかないといけないと思います。(私は幸い、夫や家族の理解と応援に支えられ自分の看護という仕事を継続してこれたので、長い間の職業上の経験と知恵と関係性に恵まれました。今、この”看取りのテーマ”にとりくめるのは、この職業上の問題意識と事例をとうしての観察経験の結果です。ここで、家族の名誉のために感謝しつつ補記しておきます。)

だって、団塊世代の夫たちは、さだまさしの歌詞にあるように、” 俺より先に死んではいけない。・・と歌い、妻は病気しない、死ぬこともないかのように思い、振舞っている夫たちが、それこそ、大半なのです。今の若い夫婦のように夫が妻に優しいケアをしてくれる生活習慣は全くない!

そろそろ、つぶやきましょう。”私たちはひとりで死ぬのは、嫌だ・・・”と。出産や病気をひとりで堪えるのは、ほんとうは嫌だった。でも言えなかった。せめて、死ぬときは、優しい人に見守られながら、手をとってもらいながら逝きたい。”と、素直に、贅沢に、わがままに、つぶやき、囁きあいましょう。

そして、何とか、それを家族だけに頼るのではなく、私たちの知恵で、関係性と社会的仕組みをつくる試みをスタートさせましょう。かつての学園闘争のような、声だかに叫び、闘い奪いとるのではなく、静かに、優しく語りあい、分かち合い、絆を深め合いながら・・・。

まず、今、日々の出会いの中で、今、出会っている家族やいろいろな人との関係性を慈しみながら、語り合い、支え合う関係性を育てましょう。責任をもってひとつを選択しつづけて、来るべき最期に備えましょう。

リビングウィル。デス・プラン。どれも、私たちがどのように亡くなりたいかの希望を考えることが勧められています。ひとり、ひとりの死生観が求められています。

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