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  • 近藤和子

リビングウィルとは?


リビングウィルって何? 

アドバンス・ケア・プランニングとは?

死生観を持つって?

終活のこと?       

耳にされたことはあけれど実際にはどういうことかな?

となんとなく気になっていたあなたへ。

3月8日(日)午後12時半から、

日曜特別学びの会が聖路加国際病院のチャペルで実施されました。

講師は聖路加国際大学教育センター・聖路病院がん専門看護師の中村めぐみさんです。

(1998年聖路加病院における緩和ケア病棟有志設立に関わり病棟婦長歴任)

聖路加病院内で持ち帰り自由な

「”私のリビングウィル”自分らしい最期を迎えるために」

というパンフレットを元にしたお話でした。

その概要をご紹介します。

以下、講義ダイジェスト(文責・近藤和子)です。

---

パンフレットのタイトル《私のリビングウィル》という私のという意味にこだわりました。自分の生き方、自分の逝き方を考えることです。

ホスピスケアを、終末期だけに限らず、

今ではガンを告知された時から緩和ケア外来(聖路加以外の病院でガン治療しておられる患者さんでも、この緩和ケア外来だけの受診も可能です。)で緩和ケアを受けることができます。

自分らしい最期を迎えるために・・・あなたが病気や事故で意思表示できなくなった時、どのような治療をしてほしいかの意思を表示しておく、“生前に発効される遺書”のことです。

もしも、あなたが、病気や事故で意識がなくなり、

判断能力がなくなったり、回復が見込めない状態になったとき、

あなたはどのような治療を望みますか?

リビング・ウイルとは、

もしもの時を自分で想定して、自分で意思表示できる時に、

もしもの時に備えて、治療や医療に関する希望や考えをあらかじめ表現しておくことです。

死を忌み嫌うわずに、気軽に言葉にしてみてください。

近い将来に備えて、今治療中の、

今後の治療や療育について、

身近な人とあらかじめ話し合うことが大切です。

・自分の信念や価値観、望むこと

・自分の病気の状態や今後のみとうしをどの程度知りたいか、知りたくないか

・治療についての希望や病気以外のことの気がかり(仕事や家族など)

・最期はどこで過ごしたいか?自宅かホスピス病棟か、病院か?

・自己決定できなくなった時、誰を自分の代理人にしたいか指名しておくこと。

これがとても重要です。自分の意思を代弁出来る人をしっかり指名してあると医療者も家族もとても助かります。そして同意者を1名よりは2名、3名でもサインしていただけるほどに、あなたの意思を、知っている人を確認しておくことが大事です。

リビングウィルは健やかに生きるために必要なこと。

自分の意思を表明できなくなった時、死期を早めるということではなく苦痛を最大限に緩和するという意味です。  回復の見込みができなくなった時、効果が期待できないにも関わらず、不本意な延命治療(心肺蘇生術や心臓マッサージ、人工呼吸器の装着、人工高輸液などなど)を希望するかどうか?

どうやって、最期を迎えたいかを考えておくことが、

死生観を持つということ。

迷っていいのです。

考えて、語り合う中で、考えが変わっていってもいいのです。

なので、私たちのリビングウィルのパンフレットは3枚、同じものがつじられているのはその変化の経過をありのままに表現していただけるように用意されています。

一度、決めたら、二度と変えられないというものではなくていいのです。

なんとなくと曖昧に嫌がる、

逃げるのではなく、親しい人々との間で、おりおりに語り合って欲しいのです。

きっかけをもって欲しいのです。

私たちは自分自身も、いつか、必ず死にます。

リビングウィルを家族や医療者と共有して欲しい。

自分なりの死生観をもつことを選択して欲しい。

怖がらないで、向き合って欲しい。

怖い時は、怖いと言葉にして欲しい。

医師だけでなく、看護師もその他も医療者も、様々な立場の人が病院にはいます。

自分が言いやすい人に、声をかけ、伝えて欲しい。

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と語りを結んでおられました。

とても参考になると思いご紹介しました。

今、緩和ケア外来や緩和ケア病棟などのしくみは、

ガンという病気の患者さんが対象。なので、老いや老衰による死、加齢にともなう、

死生観の醸成に関して、必ずしも、ピッタリ、しっくりいくとは限りません。

が、人はかならず死ぬという備えは、歳を重ねるにしたがい、

老いに向きあうごとに、嗜みとして兼ね備えておくべきひとつだと思います。

死に備える準備を私たち自身が、大切な人を看取る時の心得を、

その家族が知識としても知っておく機会をつくることは、

大切な保健教育だと思っています。

ほら、私たちが、初潮を迎える時に、

学校で“初潮指導”という性教育があったように、

看取りのための初潮教育のような機会を、

私たちは求めて、それに応えていくしくみが必要だと、痛感しています。

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