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7月~“看取り・新時代”の講座を開講します。

近藤和子

7月~“看取り・新時代”の講座を開講します。

10月~“みんなのMITORI・勉強会も開催予定です。

千葉の朝日カルチャーセンターで、この7月15日、22日、29日の3回にわたり開講、そのプログラム内容が担当者との間で決定しました。

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認知予防やあらゆる健康情報なら、いつも大盛況でも、看取りや終活になると、途端受講生はいなくなる・・そうです。開講に到れるかどうか? 危ぶまれています。

私たち医療者の間では、周知の事実であったり切実なテーマである問題でも、一般市民の間では、なかなか関心を持たれないテーマ、あるいは誰もが知っている常識になるまでに長い歳月が必要なことは多いのです。

私にとって、1997年に取り組んだ、女性の更年期の健康課題を“更年期・新時代”と称して、情報を普及させるためのヘルスプロモーションに取り組んで以来のチャレンジです。今回、“看取り・新時代” と名づけたのも、その時のノウハウの蓄積を踏まえてチャレンジしたいと願ったからです。

今、この“看取り・新時代”の情報を届けたいのは、なんと言っても、私と同じ団塊世代の仲間たちです。今、私たち団塊世代が死を迎えるであろう2025年から先に向けて、その医療、介護を担う若い世代の職業陣たちが、対応策に頭を悩ましている姿に日々接しています。私たち団塊世代が”自分の死を看取る”準備が迫られているのです。

私たちは確かに、”戦争を知らない子どもたち”として生まれました。だから悲惨な戦争の死も知りません。国民皆保険制度の恩恵を受けて育った私たちは、病院に受診することが特別に恵まれた階層だった切ない時代を知りません。

風邪をひいても病院・医院に行くことが当たり前のことだった恵まれた生活を享受してきて、人生の最期は病院=というのも当たり前でしたよね。

今、時代の政治・社会・医療環境・介護制度の変化の中で、大きな状況変化が起こっています。病院死が当たり前だった時代に、親世代(明治・大正・昭和初期)の介護と看取りを体験。介護保険も試行錯誤状態。施設を選択すると、“施設なんかに入れてしまって・・・”と罪悪感に悩み、在宅死を選択しようものなら、“病院にも連れていかなかったのか!”と非難される介護・看取りを多くの人が体験しています。

なかなか体験を語れない経験を重ねた結果、自分の子どもたち世代には、こんな思いはさせたくないと思っていますよね。では、自分の子ども(家族)には世話にならないという、介護や看取りは、果たして可能なのでしょうか?具体的にはどのようなものなのか?イメージはできあがっているでしょうか? 介護保険の主体的な利用者になるというのは、どんなものなのでしょうか?

実際に、介護保険制度施行後20年を経た今、病院の他に在宅・施設・小規模多機能・グループホームなどなど、かつて私たちが見たり聞いたりしたこともない場所での医療、介護、看取りが動いています。

そのどれを選択するかによって、私たち自身の幸福度もさることながら、遺される家族の人生への影響が様々に取り沙汰されている実際を、もう少し知ってみる必要がありそうです。何より、ことは、私たち団塊世代のひとりひとりの選択と決断・実行が大きく物事を左右する事態になっているのですから。

今、医療・介護・行政の現場で働く若い世代の職業陣たちが、私たちひとりひとりの幸せな最期を遂げさせてあげようと一生懸命です。そんな、身近におこっている ”MITORI”の実際の場面を、私がサーキュレーションすることは、団塊世代の仲間ひとりひとりが、”自分の死を看取る”希望を選択する際の参考になるのではないかと考えました。

できるだけ、ここに、こんな家族が感じた”幸せMITORI”がありました。こんな準備が良かったようです。などと、MITORIの幸せ・良かった情報を、みんなのMITORI・研究会の HPや、ブログで、お届けしてみます。備えあれば憂い・・・なしとまでは言いませんが、憂い少なしですから。私たち団塊世代の余生が充実することへの情報提供のお役にたちたいと思います。

死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう。

 いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう。

 時間は限られているのだから、チャンスは今だ。

 嘆き わめくことなんか、オペラの役者に任せておけ。

力への意志・by ニーチェの格言集より。

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