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優しさの贈り物=マザーリング

  • 近藤和子
  • 2015年12月3日
  • 読了時間: 5分

2015年11月25日午後6時半~国際文化会館で開かれた小林 登先生の米寿のお祝いに出席してきました。

100名を超す門下生先輩・後輩・先生を支えてこられた関係者の皆さんの暖かなプログラム、進行、趣向、素敵な2時間半の宴でした。

参加者自らのピアノ演奏、独唱に続き出席者全員が自然に唱和されていく様子は「子どもは未来である」と、一貫して子どもたちへの優しさを社会に問いかけ続けてこられた先生の雰囲気そのものでした。

(註)小林 登:医学博士・東京大学名誉教授 1970年~1984年 東京大学医学部小児科学教授。国際小児科学会会長、理事を経て、1984年~1987年 国立小児病院小児医療センター初代センター長。1987年~1996年国立小児病院(現:国立成育医療センター)院長。2002年~2010年子どもの虹情報研修センター初代センター長。その間、日本赤ちゃん学会初代理事長。日本母乳哺育学会理事長、チャイルド・リサーチネット所長等を経て、現在、日本子ども学会名誉理事長、チャイルド・リサーチネット名誉所長。著書・翻訳書多数。

私と小林登先生との出会いは、看護学生の時に先生に小児科学を教わったご縁でした。

その小児科学のご講義の最後に、

「これまで医科学的な小児科学を教えたが、例え、医科学的根拠があろうと、なかろうと、母親が何か変?と感じている不安は大事である。その大切さに気づき、それを医師にキチンと伝えられる看護師になって欲しい。」

という意味のメッセージを残されました。

私には、こんな体験があります。

1978年12月2日に第3子を出産した5日目、開業産婦人科医院の入院先で、産後24時間以内に現れた黄疸値が下がらず、何とも言えない、説明しがたい不安感に襲われました。

思い切って産科から小児科医への転院を申し出て、自分で小児病院に駆けつけ、そこでの処置と交換輸血が間に合い、おかげで一命をとりとめることができました。

(当時は周産期医療⇒産科と小児科の連携がさかんに提唱されはじめたころ。今でこそ、地域医療の中でも、その連携はスムーズになりましたが、当時はまだその連携は常識的ではなかったのです。婦人科医師と小児科医師の両方を繋ぐ役割を果たすのが看護の役割だと勉強していた段階でした。私は知識として知っていたというのが幸いしました。まさに、知識は武器なりです。)

その時、自分の不安感を正直に医師に訴えるのには、大変な勇気が必要だったのです。それはなぜ、転院したいか、説明し難いのですから。その時!忽然と思いだしたのです。あの時の小林登先生の最終講義の時の言葉を。

そうだ、あの先生がおっしゃったではないか。母親である私が感じる不安。それが解消されるだけでもいい。ともかく動いてみようと。もし、あの時、あの言葉を思い出さなかったら、私は不安なまま予定されていた当日退院し、帰宅していたでしょう。

その体験後、私は論文を書く人になるのも大事。でも論文で明らかにされたことの実践家も大事。自分は実践家になろうと思い決めて、子どもの療育(治療と育児)にもめどが立ち始めた1982年に、マザーリング研究所と称して看護師としての独立起業にチャレンジしました。

それは3人の子どもの育児と仕事の両立を私なりに果たすための独自のそして、苦肉の策でもあったのですが・・・。

1987年に国立小児病院の院長になられた先生をお訪ねして、

「マザーリングという言葉、概念を周知させたい」

と語られる先生に

「私も、その役割を果たす一人になります」

と宣言しました。

ドゥーラ・マザーリングに関する、ご著書、先生の論文は私にとって楽譜です。私はその楽譜を聴衆に合わせてもっとも感動的に演奏できる演奏者になりたい。作曲家にとっては不十分な出来映えに終わるかもしれませんが・・・。と語り、マザーリング・マザーの言葉の定義をづけをご教示いただいた日のことを、鮮明に覚えています。(マザーリングの定義 はその時、TBSブリタニカ 現代用語辞典に掲載されました。)

優しさの贈り物=マザーリングの概念は、母乳育児を果たす母子相互作用の理論的根拠はもちろんのこと、人は優しくされることで、安心し、安心することで自律的になれるという主張をもとに、私は更年期、老年期の介護・ケアの講義、さらに看取りの「エンド・オブ・ライフケア」の世界にも、このマザーリングの概念を軸に講義しケアを続けています。

看取り・新時代の勉強会は来年2016年2月13日(土)に、第2回目を実施します。

その2回目のテーマが、まさに、このドゥーラーマザーリングです。若手研究者 福澤利江子先生による、ドゥーラとは? の講義を、ぜひ、できるだけ多くの方々に聴いていただきたいと願います。

私は30年に及ぶ、妊娠・出産・育児・更年期のマザーリング活動の実践をとうして、このマザーリングの関係性はMITORI(看取り)の時にも活かせると、感じています。 看取りは、終焉ではなくはまさに命のバトンタッチだからです。

そこから、看取りにかかわる家族と介護職の誇りと自信を引き出したいと考えています。

出産・育児の時の「予期的危機介入ケア」を ちょっと先に体験した女性から女性への相互サポートとして育成する。その育成にかかわるのが、私たち看護職の役割と意識してきました。

その相互支援サポートが社会的支援サポートとして機能した時、人としての成熟や円熟をも助けるのだという社会認知・風土を何とか醸成できないものでしょうか?

私の中でのこの想いを、福澤先生は、真っ先に、助産師として、ドゥーラの研究家として共感してくださいました。さらに、福澤先生は、それを論文としても表現できる、そして今後、教育の現場でも後進を育成したり、活躍できる先生です。

是非、福澤先生のお話しを聴いていただきたいのです。看護の思いのバトンタッチを果たしたいと願っています。一般市民の人々は、それを希望しているでしょうか?

私たちは訪問看護・介護を仕事とする関係専門誌に、この問いかけをしてみました。 同じ問いかけを、一般市民の方々にもしなくてはなりません。聴いてみて、考えてみて、希望を伝える人にひとり でも多くの方の賛同をお願いしたいのです。

まずは2016年2月13日(土)午後1時~ この勉強会に足を運んでみていただけたら、嬉しいです。

ここから一歩が始まります。

 
 
 

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