がんを患い、 かねて療養中でありました姉が2016年4月17日(日)、 本人の自宅にて逝去いたしました。
折しも、
先日第3回の在宅医療勉強会≪看取り・新時代≫では 石飛幸三先生をお招きして、 先生が提唱しておられる≪平穏死≫について、 そのご自身のご体験をもとに、 ご講話いただいたところでした。
親しみのある語り口で、
≪食べないから死ぬのではない。
死ぬから食べなくなるのですよ。
食べない自由が人間はあるのです。
食べなくていいのです。飲まなくていいのです。
そのほうが、自然に、枯れるように亡くなっていかれる幸福な死を、
自分もそして、より多くの人々に勧めたいのです。≫
という語りに、
だれもが深くうなずいておられました。
平穏死=尊厳死=自然死 これらはほぼ、同義語と思ってよいのです。
認知症などで寝たきりの高齢者の方が、 肉体的にも精神的にも苦痛がなく、 穏やかに亡くなるということです。
(黒田和夫弁護士~石飛幸三医師)
癌の末期において、化学療法等あらゆる治療法を試みても、 すでに治療効果が望めない、
非可逆的病態の時期を迎えた時、 医師が緩和ケアとかホスピス病棟への入院を勧めます。
その意味のなかに、
平穏死の選択が勧められているのです。
ところが、
ここまでの理解が一般化されているかというと、 まだまだだと思います。
延命治療がなかった明治時代の刑法219条「保護責任者遺棄致死罪」という法律があります。
なぜ、死ぬまでほっておいたのか? 入院させなかったのか? という親族や社会の責めを受ける背景にはこの法律の存在がありました。
これまで、 この法律にしばられて、 医療関係者も家族も自らの意思表示のできない患者が死を迎える決断をすることに怯えてきました。
それが、2006年(平成18年度)から介護保険制度の中に、
「重度化対応加算」「看取り介護加算」が制定されました。
ご家族の同意を得た場合は医療施設に搬送したりせず、 施設で静かに最期を迎えていただくという“覚悟の道筋”を ご家族とホームがともに計画的に整えていけるようになったのです。
同じように、 ご家族の同意を得られれば、 患者さんに家で最期を迎えていただくことも
できるようになりました。
これを
≪在宅看取り≫
と言います。
姉のことをすこしお話させてください。
2016年4月17日(日)午後1時50分 (医師の診断書では午後3時30分)、
末期がんを抱えていた、 姉(享年73歳)は、
本人とご家族の同意のもと、 妹の私が看取りのドゥーラの役割を果たすことができ、 在宅でとてもおだやかに看取ることができました。
私が姉の看護に最初に介入したのが3月6日(日)でした。
そして、息を引き取ったのが4月17日(日)です。
その6週間に果たせた 私の、MITORIのドゥーラの役割は、 姉自身の死への向き合いかた、覚悟が定まっていたおかげもあり、 内容の濃い、充実した日々になりました。
6週間の間に、 これまでやりたくてもできなくなった生活回りの始末や、 姉の哀しみに寄り添い、 希望を全て叶えました。
これからは、 亡くなる直前に希望していった姉の想いを叶えるために、 気合をこめて役割を全うしたいと思います。
病院やホスピスなどではなく
在宅で看取ることの意味と意義、 そして明暗を体験することができました。
これが姉からの何よりのプレゼントだと思います。
これからこの出来事の意味を少しづつ咀嚼しながら、
みんなのMITORI研究会の中で、 シェアしつつ、拡げていきたいと願っています。
明日4月23日(土)は告別式です。
ずーと離れずに付き添い、寄り添い、
心の中でつぶやき続けてこようと思います。
≪お姉ちゃん、立派だったよ。とてもいい選択だったよ。
私たちお母さんから代々、言い聞かせられてきたとうり、
躾られてきたように、ちゃんと、きちんと、
死の準備に向き合えたよね。
立派だったよ。ちゃんと果たしたよ。安心してね。≫
と。