看取り新時代、在宅医療の勉強会の受講生、
Y・H様(50代女性)様からいただいたご感想を紹介します。
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看取り新時代の講演会に2月より参加させて頂き早くも最終回を迎えようとしております。
家庭で看取りを行うに当たり、医師や看護師といった専門職でない一般の生活者を対象にドゥーラの養成をなさるとの事でした。そのドゥーラになる以前に講演会を聴きに行って月日が浅い頃は看取り=怖い、という気持ちを非常に強く持っておりました。
各回の講演内容は興味深く、その講演者のお一人ごとの魅力に惹かれつつも、ドゥーラにならない方法を考えてばかりで、すっかり逃げ腰でおりました。
しかし、回を重ねる毎に、いつしか、いつ頃から分からない程自然に死は特別な事ではなく、人の生なる営みの延長線上にある事柄として受け止められる様になって行きました。
むしろ、今はドゥーラになることが可能であるならば、喜んでその仕事を与えて頂きたい。と、願っております。
さて、これは私の個人的な経験です。遡る事22年前。1人息子が誕生した2ヵ月後、実父は末期の肝臓癌で緊急入院致しました。
主治医から余命1ヵ月と告げられたのは桜の咲く春でした。しかし、父は夏を越して秋に逝く。初秋か中秋か晩秋かわからないが秋だよ。冬にはもういないよ。と申しました。
父は、私が幼い頃より、その大小にかかわらず約束した事は必ず果たしてくれる人でした。父を信じる事に迷いはありませんでした。
入院中の父を見舞うにも、父は小さな孫へのウイルス感染を懸念して孫を病院へ連れて来る事を断じて許しませんでした。
そんな時、高校時代の恩師(既に退職して家庭にいらした)が、留守中の子供の面倒を見て下さる事になりました。
『まだ話す事も出来ない乳飲み子のお世話をするのですから、事故や災害、その他の事を想定してお伺いします。』とおっしゃり、お2人で週3回いらして下さいました。
『約束した日に突然伺えなくなるといけませんから。』と、急な事にも備えて常に3人でのローテーションを組んで下さいました。
このお3人は、それぞれ先生は男の子をお2人、Aさんは男女合わせて4人、Bさんは3姉妹のうち、お1人は重度の障害児をお育てになった育児の大ベテランでした。
生まれたばかりの息子は強いアレルギー疾患を持っておりましたが、この事についても、よくご存じで留守中の子守という範囲には留まらず生活のあらゆる事を教えて頂きました。
先生方に子を預けて父を見舞っている間中、私は息子の事を心配するどころか息子の事は何も考えずにいられました。それは正に信頼しきっていた証です。
父の病から、死が訪れるまでの半年間、時間の許す限り父と対話し、ふれあう事のできる充実した時間を過ごすことが出来、その死さえも悲しくとも清々しく豊かでありました。今にして思えば贅沢で貴重な日々を過ごすことが出来ましたのも、このお3人のお力添えのお陰だと深く感謝しております。
このお3人は共通して普通の家庭の主婦で先生を除けば専業主婦で子供を育て家庭を守っていらした方々でした。その中での豊富な経験と知識、人柄によって私は支えられ悔いなく父を送ることが出来ました。
父亡き後(父は約束通り、その年の中秋まで穏やかに生きてくれました)も親しくさせて頂き、それは現在に至っております。
このささやかな経験は、今後看取りのドゥーラとしての働きがあった時、共通する何かがあると信じています。
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≪以下、近藤補記です。≫
Yさんの体験は、まさに看取りのドゥーラを提唱している私たちの目標モデルそのものです。
『そうそう、私たちは、こういうサポートが必要で、こういう風にサポート受け容れてくださるご家族(市民)を求めているの!』と、まさに膝を打つ喜びでした。
よくぞ、事例提供して下さいました。
この事例をとうして、多くの皆さまにご理解いただきたいことが3点あります。
ドゥーラサポートは
Yさんが生後2~6カ月未満の子どもの育児をたとえ週3回といえども、1歳未満の赤ちゃんを他人になんて預けられない! と頑なに拒んだら、成立しないサポート関係です。
現に、私たちナースがこのようなサポートを紹介しても、ご家族に拒否され、逆に、病院に子どもを預けられる場所を設置して! 子ども連れでも見舞いに行けるように病院の制度を変えてくれと迫られる傾向が近年、ますます強くなっています。
私たちは“お見舞いの時、元気なお子さんを預かる保育システムと場”は、国立成育医療センターの設立時(2001年~)に努力し、実現しましたが、それでも、病院見舞いにこどもを同伴してなぜいけない! というご家族への“病院が果たす役割の説明”に苦慮する事実が多くあることを、もっと、広く市民の皆さまに知って欲しいと願っています。
病気見舞いの時、乳幼児をご自宅に信頼できる人に預けて出かけて来る。そのほうが、見舞いに往復する大人も安心・安全です。入院中の患者さんが、自分だけのために配慮してくれているという喜びにも通じます。
その時の赤ちゃんのことを“さみしい思いをさせたのではないか?”等と心配する必要はまったくないのですよ。
Yさん親子に3人体制でサポートを申し出てくださった、この恩師の配慮はさすがです。これぞマネジメントだと。私たちも、このような1対3対応をしたいと常々願っています。一人が一人の人に何が、何でも、頑張る! というのを美談にするのは、もうやめませんか?
ケア・サポートというのは、人手のかかることなのです。この事例の場合、中心になっていただけた、Yさんの恩師(定年されていたという立場、これまでの職業経験)の方の素晴らしいリーダーシップのおかげです。この役割に多くの人々が気づいて欲しいと願っています。
最後に、患者さんであったお父さまの“リビング・ウィル=死をみとうし、死をタブーにしないで、患者であることを生き抜かれた人生態度です。
そうなんです。
MITORIのドゥーラの育成とマネジメント化を目指す、私たちにとって、このテーマは、ドゥーラを育成すればいい。
リビング・ウィルする人を増やせばいいといった単純に一つのことではないことを、ご理解いただく、恰好の事例です。
私たち“みんなのMITORI研究会”が目指す“看取り体験”は、当事者と専門家とご家族の三位一体となって、理解しあい、支えあい、築きあわなければ成立しないものなのです。
皆さまのご理解をぜひ、お願いします。