2016年9月9日(金)に、あらたな企画として、 ≪看取りケアの体験シェア・トーク・サロン≫
を開始しました。
会費はひとり千円。
初回となった今回は、 3人の参加者を得られました。
今後、 毎月第2金曜日の午後3時からの2時間として、 定期的に開催していくつもりです。
希望者が増えれば随時、 日程を増やしていこうと思います。
どんなことをするのかというと、
家族としての看取り体験、 看護職としての看取り体験を中心に語り合いをします。
「介護職だけれど、 ご自身のお母様(享年49歳)を15年前のことなのに、 日ごろは忘れていても、ふと思い出すと哀しい波に襲われる。 何故だろう・・・」
などのように、
語り合いながら
体験をシェアするわけです。
コーディネート役の私から見ていて、
今回のご参加者3人に
共通していたことがあります。
それは、それぞれの看取り体験が、 人生の大きな転換点になっていたこと。 偶然にも、同じステージの方々が集まったのかもしれませんね。
参加者のおひとりのFさんが 寄せてくださった声が、 まさにトーク・サロンの目的をあらわしているかのようでした。
おはようございます♪昨日は素晴らしい時間をありがとうございました(*^^*)
語ることで癒され、新たに見えてくる経験をしました。(F・R)
喪失体験後の回復過程において、 受容期(仕方がない。自分にはきっと~という意味があったのだろう。)を経て、
何らかの新しい出発につながることがあることは、 良く知られています。
体験を語り合い、シェアする時間をもつことで、
みずからの体験が咀嚼され、昇華されるのかもしれません。
重大な悲嘆(人生の危機)を経験した人は、 もとの自分に戻るのに多くの時間を必要とします。
「元に戻らなくていいと自分を許すことも大事。 立ち直ることはできないけど、立ち上がることはできる。 と、立ち上がれば、無理やりでも最初の一歩が踏み出せる」
そう教えてくださったのは、 2010年に私が夫を亡くした葬儀に 駆けつけてきてくださった時の 日野原重明先生からのお言葉です。
その時は、“立ち上がる”ということすら、 どうすればいいのかわからなかったのですが、 時間がたつに従い、意味が良く伝わってきます。
時間とともに必要なのが、
体験をシェアするという行為のちから、
そして他者からの言葉のちからです。
古くから医師や看護師という医療職と宗教家は、 人の死に直面し、 ご家族とともに悲嘆を共有するのが仕事です。
“危機介入カウンセリング”の必要が、 さまざまな専門家によって主張されていますが、
シンプルにいえば、
人が集まって気持ちと体験を分かち合い、
共有しながら言葉をかけあうことが、
悲嘆とその立ち直りのプロセスには必要不可欠ではないでしょうか。
とにかく、 「トークサロン」は、 専門家だけのものではないと思います。
カウンセリングマインド (=受容・共感・傾聴のスキル)を持った方なら、 どなたでもできるはず。
一人でもできます。 一人からできます。
これまで、育児・更年期・介護をテーマに トークサロンを重ねてきた私も、
いよいよ“看取り”をテーマにしたトークサロンを、 スタートしたわけです。
このトークサロンに参加してくださったメンバーの方々が、 今度はご自身のトークサロンを開設し、 運営する一歩になればと願いつつ。
いかがでしょう?
あなたも始めてみませんか?
追伸:言葉のプレゼント
●「末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい。説法もいらない。 きれいな青空のような瞳をした、透きとおった風のような人が そばに居るだけでいい。」
(青木新門著・「納棺夫日記」第3章ひかりといのちより)
●信じることのパワー「自分自身を信じましょうよ。恐ろしいと感じ、足がすくむような経験でも力や勇気や自信を得ることができるのだから・・・。できない・・と思わずにとにかく、やってみることなのよ。」
(エレノア・ルーズベルト)