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近藤和子

死ぬまでにしておきたいこと


よく

「死期が近くなったら動けるうちに」

とか

「山や、海や、埋もれて、野垂れ死にしたい」

とか

「勝手に海に撒いてくれ」

などと、

気軽な(?)ことばをよく聞きます。

でも、

よく考えるとお遺灰を撒くに至るには、

相当の人手と手配と経費もかかります。

何より引き受ける人のあなたへの愛がなければ

できないことです。

家族にも身内にも周囲の人にも迷惑かけずに逝きたい、

というお気持ちはわかりますが、

それも、前準備が相当必要なことなのです。

よく準備を整えたうえで、

やっと、そうした希望をかなえられる可能性が

でてくるのですね。

ポジティブにみれば、

今という時代は

(何かと選択肢の少なかった戦時中などとちがって)、

自分の死をもいろいろと選択できるようになってきた、

ともいえます。

だとすると、

これから迎える2025年問題(多死社会)の時代は、

「自分で自分の死を選択できる」という、

ある意味で幸福な時代なのかもしれません。

たとえば

「安らかな最期をむかえたいから延命処置を望まない」

というのであれば、

リビングウィル(生前意思)という手段で宣言しておくなど、

みずからの死についても、

ひとりひとりの思いをかなえられる、

そんな時代をむかえているのです。

(リビングウィルの詳細については

日本尊厳死協会のサイトなどを参考にしてください。)

また、

思うに自分の死は、

確実に“看取る人に影響を与える”ことのできる、

最期の、最高の仕事でもあります。

「迷惑をかけたくないから」、

と黙して語らず、希望も対処も何もしないのが、

一番の迷惑とも考えられます。

まずは、私たちひとりひとりが

はっきりと自分の死生観を持ち、

それを意思表示していくということが、

ますます必要な時代ではないでしょうか。

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